実質賃金5ヵ月連続マイナス!国民生活は崩壊寸前!!それでも政府は“景気回復中”と開き直るのか?
「給料日が、むしろ憂うつだ」
そんな声が、全国の働く人々の間で当たり前になりつつある。2025年5月の最新統計によれば、実質賃金は前年同月比で2.9%も減少。これで5ヵ月連続のマイナスだ。しかも、このマイナス幅は約1年8ヵ月ぶりの大きさ。生活必需品は軒並み値上げされ、電気・ガス代も高止まり。庶民の財布は薄くなる一方なのに、給料だけが取り残されたままだ。
だが、その一方で――信じがたいことに政府は未だに「景気は回復傾向にある」とのたまっている。まるで、国民の苦しみなど初めから存在しないかのような態度だ。政治家たちは自らの安全地帯に閉じこもり、都合の良い統計と空疎な希望的観測だけを拠り所に、「回復している」と繰り返す。だが、それはいったい誰のための“回復”なのか?
少なくとも、スーパーのレジ前でため息をつく母親の手元にも、週末の外食すらためらう若い夫婦の生活にも、その“回復”とやらは一切届いていない。働いても働いても生活が苦しくなる現実。昇給よりも先に値上げがやって来る毎日。これは単なる「物価上昇」ではない。国家ぐるみで進行する生活破壊そのものだ。
なのに、政府はどうだ。「データを見れば回復している」「一時的な物価上昇だ」「企業の賃上げ努力が足りない」責任を国民や企業に押しつけ、自らの政策の失敗からは目を逸らし続けている。経済政策を誤り、インフレを野放しにし、実質賃金を削っておいて、なお胸を張って「順調」と言える神経には、もはや恐怖すら覚える。
こうした態度を“鈍感”と呼ぶのは生ぬるい。“無責任”でも甘すぎる。これはもはや統治者としての倫理の欠如であり、国民生活への背信行為である。国民に苦しみだけを押しつけ、空虚な回復を語る政治。これが「先進国・日本」の実態なのだとしたら、笑えない冗談でしかない。
回復などしていない。むしろ壊れている。それでもなお、耳障りの良い言葉でごまかそうとする政府の姿勢を、私たちは見過ごしてはならない。現実に目を向け、怒りを正しく言葉にし、声を上げなければ、本当に何も変わらない。
見かけの数字でごまかすな!名目賃金の“微増”で国民をだます政治
厚生労働省の統計によれば、2025年5月の名目賃金は前年比で1.0%の上昇があったとされています。政府や一部のメディアは、この数字だけを取り上げて「賃金は上がっている」「景気は回復基調だ」と、まるで成果を誇るかのように報じています。しかし、それは国民の現実を無視した、空虚な数字遊びに過ぎません。
同じ時期に発表された消費者物価指数(CPI)は、前年比で4.0%の上昇。つまり、生活に必要なモノやサービスの価格が、賃金の伸びよりもはるかに速いスピードで上がっているのです。表面上の“名目プラス”の裏で、実際の生活水準はじわじわと、しかし確実に切り下げられている。それが実質賃金の減少という事実であり、国民が直面している切実な現実です。
にもかかわらず、「名目では上がっている」「プラス成長だから問題ない」と語る政治家や官僚たちは、果たしてどれほど庶民の暮らしを理解しているのでしょうか? 彼らの口から出るのは、統計とグラフと、耳障りのいい経済用語ばかり。だが、その一方で、毎日の買い物に苦しみ、値引きシールを探して歩く生活者の姿は、彼らの視界から完全に消えているように見えます。
スーパーのレジ前で、買い物カゴから一品を戻す母親の手。ガソリンスタンドの価格表を見て、ため息をつくドライバー。外食をあきらめてコンビニのおにぎりで済ませる若者。それが、いまの“景気回復中”とやらの日本の姿です。
名目賃金がわずかに上がった程度で、国民が安心できるわけがない。そもそも「名目賃金の上昇」を語るなら、その影で“生活が苦しくなっている人の数”も語るべきです。それをせずに、都合の良い数字だけを引っ張り出し、成果として語るその姿勢こそが、この国の政治の腐敗と無責任さを象徴しています。
実質賃金が下がり続け、生活コストだけが膨らんでいく。その現実に向き合おうとせず、数字の表面だけをなぞって国民を納得させようとする態度は、まさに情報操作の一種であり、国民に対する誠意の放棄にほかなりません。
いま求められているのは、数字を飾ることではなく、暮らしの実感に即した政策と姿勢です。政治の責任は「増えたように見せること」ではなく、「暮らしを本当に良くすること」なのです。
庶民の悲鳴は聞こえない“生活防衛も限界”でも政治は税金を取り続ける
私たち国民は、日々の暮らしを守るために、知恵を絞り、我慢を重ね、何とかやりくりを続けています。食費を削り、娯楽をあきらめ、子どもの進学や老後の備えまで切り詰めながら、それでも生活を立て直そうと踏ん張っている。しかし、限界はとっくに見え始めています。
実質賃金は下がり続ける一方で、社会保険料や住民税は無情に上がっていく。さらに政府は、少子化対策、防衛費、異次元の○○対策などの名目を次々と掲げ、その裏で着々と“増税の下地”を整え始めている。しかもその負担は、政治家でも官僚でも富裕層でもない、私たち一般国民にばかりのしかかってくる。
生活が苦しい。将来が不安だ。そう訴える声に対して、返ってくるのは「仕方がない」「今は皆で頑張る時だ」などという空虚なスローガンだけ。まるで気合と根性だけで乗り切れとでも言いたげなその姿勢には、もはや怒りを通り越して、呆れるしかありません。
では、その「皆で頑張る」は本当に“皆”なのでしょうか?
スローガンを叫ぶ側つまり政治家や上級官僚たちは、どれほどの痛みを負っているというのでしょうか?
毎年数千万円の歳費を受け取り、公用車に乗り、議員年金や特権的待遇を手放そうともせず、失策をしても誰ひとり責任を取らない。国民には「耐えろ」「協力しろ」と言いながら、自分たちはぬるま湯から一歩も出ようとしない。それが今のこの国の政治の実態です。
もはやこれは“政治”とは呼べません。見せかけだけのパフォーマンスに満ちた、“政治ショー”です。選挙前にだけ反省のふりをし、耳障りのいい言葉を並べ、当選すれば手のひらを返す。その茶番のツケを、私たちはもう何十年も払わされ続けています。
そして、その代償はあまりにも重い。教育費のために貯金を切り崩す親たち。医療費を心配して通院を先延ばしにする高齢者。将来に希望が持てず、結婚や出産を諦める若者たち。そのすべてが、「誰かが政治的責任を取るべきだったのに、取らなかった」結果です。
国民にばかり痛みを押しつける政治は、政治とは呼ばない。
国民の声を無視し、負担だけを強いる政権に、未来を託すことはできない。
私たちは、見せかけのスローガンではなく、現実に向き合い、痛みをともに引き受ける覚悟を持った“本物の政治”を求めています。
このままでは国がもたない!実質賃金マイナスがもたらす“静かな崩壊”
物価上昇、実質賃金の低下、非正規雇用の増加、労働時間の減少、そしてボーナスカット。これらは単なる一過性の経済変動ではありません。これは、“静かに進む崩壊”の兆候です。しかもそれは、気づかないうちに、しかし確実に社会の土台をむしばんでいる。
とくに現場を支える運輸業や建設業では、給与の削減が続き、生活の足しにしていた残業代すらカットされる始末。人手不足で回らない飲食業では、パートやアルバイトの比率が8割に迫る異常事態。フルタイムで働ける人すら集まらず、穴を埋めるように“継ぎはぎ”の労働力でどうにか回している。それはもはや、労働市場ではなく“臨時対応の連続”に過ぎません。
それでも、政府はあくまで「経済は堅調に推移している」と言い張る。企業も、労働者も、現場も疲弊しきっているのに、「なんとかやっているから問題ない」とでも言いたげな、その鈍感さと他人事ぶり。この国の中枢にいる人間たちが、本気で「このままでもやっていける」と考えているのなら、それはもはや末期症状です。
少子高齢化は止まらず、社会保障の負担は現役世代に重くのしかかる。若者の賃金は伸びず、将来への展望も描けない。中堅世代は子育てと介護に追われ、自分の人生どころではない。高齢者は年金だけでは足りず、働き続けることを余儀なくされている。つまり、“誰も余裕がない”状態が常態化しているのです。
この国はいま、まるで廃工場のような状態です。外見だけはそれらしく整って見えるかもしれないが、中では歯車が外れ、部品が足りず、かろうじて動いているだけ。問題は明らかに積み重なっているのに、メンテナンスを怠り、整備もせず、壊れるその瞬間まで放置されている。そしてその原因は、“誰も本気で直そうとしていない”ことに尽きます。
構造的な賃金低下、雇用の不安定化、生活コストの高騰、これらはすべて、単なる統計の中の数字ではありません。一人ひとりの生活を、静かに、しかし確実に追い詰めていく現実です。なのにその重みを理解せず、表面的な数字だけを拾って「大丈夫」と言い張る国家運営が、どうしてこの先の未来をつくれるのでしょうか。
いま必要なのは、“静かな崩壊”を見て見ぬふりすることではない。
この現実を直視し、口先の安心ではなく、抜本的な構造改革に踏み込む覚悟です。
だがその“覚悟”を、この国のリーダーたちから感じることができない限り、崩壊は加速する一方なのは、もはや誰の目にも明らかではないでしょうか。
最後に国民の犠牲の上に成り立つ“経済成長”など、いらない
いま、この国に必要なのは、数字の体裁を整えるためのアリバイ政策ではない。
見かけの景気や統計の“ごまかし”ではなく、実際に国民の生活を立て直す、本物の経済政策だ。
年収の中央値が下がり続け、実質賃金が削られ、税と社会保障の負担だけが膨れ上がる現実。
そんな中で求められているのは、責任を取る覚悟と、抜本的な改革を進める胆力だ。
だが、いまの政府にその気配は微塵もない。
やることといえば、「企業に賃上げを期待する」→「税制優遇をちらつかせる」→「あとは民間に丸投げ」この繰り返し。
結局、自分たちは一切リスクも責任も取らず、ただ“お願い”と“期待”だけを並べて政治家ぶっている。
こんなものは政治ではない。国家を装った搾取機関にすぎない。
政治家は口を開けば「成長戦略」「分配の強化」「未来志向」聞こえのいい言葉ばかりだ。
だがその中身は空っぽで、国民にとっては“絵に描いた餅”どころか、希望を盗む毒に近い。
現場の苦しみに向き合おうとせず、自分たちの地位と利益を守ることだけに血道を上げるその姿は、もはや権力を持った寄生虫にしか見えない。
国民はもう限界だ。
このまま「賃金は増えません、税金は増えます、でも我慢してください」を繰り返せば、
終わるのは一人ひとりの生活ではない。まず国民の希望が死に、そして日本という国そのものが崩壊する。
それでもあなたたちは、まだその椅子にしがみつくつもりか。
国民にだけ痛みを押しつけ、自分たちは高額報酬と特権に守られて、何ひとつ責任を取らずに。
この国をここまで壊しておいて、「問題はない」「想定内だ」と言えるその神経こそが、最大の国難である。
政治家である前に、人間としての良心があるのか?
国民を苦しめる政治を、どうして平然と続けられるのか?
いまこの瞬間にも、希望を失い、生きる選択肢を奪われている人がいるというのに。
それでもなお「自分は正しい」と言い張るつもりなら、そんな政治など、この国にはいらない。