「辞退なら会見出るよ」──国民民主の出馬ドタバタ劇に山尾志桜里がブチ切れ反撃!

「出馬要請は玉木代表から」──山尾志桜里氏、怒りの“ハシゴ外し”全暴露
まさかのドタキャン劇!出馬を頼まれてその気になったら、今度は「辞退なら会見出るよ」と言われ、公認は取り消し。政界のラブコールは、どうやら期限付きだったようです――。元衆院議員・山尾志桜里氏が怒りの2,400文字で暴露した“出馬と撤回”の裏側は、まるで政治ドラマのドタバタコント。あの会見の裏で一体何が?国民民主党の“梯子外し劇場”をユーモア交えて徹底解説します。

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怒りのX投稿 2400字の“長文反撃”

突然、国民民主党から参院選の公認を「やっぱりナシで」と取り消された山尾志桜里・元衆院議員。6月12日、自身のX(旧Twitter)で声明を公開した。

その文面、なんと2400字超え。“声明”というより、もはや“公開説教”に近い。内容はというと、党の対応に対する不信感と怒りがこれでもかと詰め込まれ、まるで怒りのフルスイング。
「筋が通らない」「誠意が見えない」と、党執行部の“手のひら返し”を真正面から糾弾。まるで、長年連れ添った恋人に突然「やっぱ違った」と言われたかのような憤りようである。

しかもその文体は皮肉も交えつつ、どこか冷静さを保っているから余計に怖い。炎上狙いではなく、“覚悟の告発”といった趣き。何があったのか、なぜこうなったのか。説明責任を求められているのは、どうやら党の側のようだ。

玉木代表からの“ご指名”だったはずが…

山尾志桜里氏が国政復帰を決意するに至った背景には、昨年末のある“お誘い”があったという。声をかけてきたのは、他ならぬ国民民主党の玉木雄一郎代表。さらに今年に入ってからは、榛葉幹事長まで揃って正式に出馬を要請。これが“社交辞令”だったのか“本気の口説き”だったのかは、いまとなっては藪の中だが、本人は真剣に悩み抜き、覚悟を決めたと綴っている。

ところが、いざ決意を固めた途端に、「やっぱり今回は見送らせていただきます」との一報。要は、“本気で来るとは思ってなかった”ということなのか。さしずめ「乗ってきたら断る」という、よくある不動産屋の釣り物件のような話である。

政界では“梯子外し”も日常茶飯事らしいが、それにしても今回の手際の悪さは見事というしかない。筋書きだけで見れば、完全に“声かけといて放置する元カレ”の構図だ。本人が怒るのも無理はない。いや、怒らない方がおかしい。

「発表は延期、延期、また延期」…お約束の“党内調整中”

4月23日、公認が正式に決まった──はずだった。ところがその後、党の反応はまさかの“様子見モード”。「発表はちょっと待って」「記者会見はまた今度」と、足踏みどころか、もはやバックしてるのでは?と思うほどの腰の引けっぷりだった。

その“理由”として挙げられたのは、SNS上の批判や、地元・愛知県での評判、さらには他の候補者とのバランス調整。どれも一見もっともらしく聞こえるが、結局のところ、「え、決めたのにどうするかまだ迷ってるの?」という、決断力のなさがにじみ出てしまった形だ。

山尾氏が「予定通りのほうがよくないですか?」と提案しても、返ってくるのは沈黙だけ。“見なかったことにする力”だけは超一流らしい。

そしてようやく、5月14日に公認が公表されたが、もはやその場の空気は「ようやく来た」ではなく「まだいたのか」の雰囲気。この時点で、もう事態は静かに傾きはじめていたのかもしれない。

“見送りたい”同席会見、開いた口がふさがらない

そして迎えた6月10日。ようやく出馬会見が実現した──が、その舞台裏にはまたしても「なんだそれは」というやりとりが転がっていた。

当然ながら、山尾氏は出馬要請をしてきた張本人――玉木代表と榛葉幹事長――の同席を求めた。筋を通すなら、それが自然だろう。だが、返ってきた返答はまさかの一言。

「辞退会見であれば同席する」。

……いや、それって、「出馬じゃなくて辞退なら行ってやるよ」ってことですよね? 本人の前向きな決意表明に対して、冷や水どころか氷風呂をぶっかけるような返答が平然と飛び出したのだ。

山尾氏は「大変残念でした」とやんわり表現しているが、その裏ににじむ怒気は、行間からじわじわと伝わってくる。「何が残念かって、これが冗談じゃなくて現実だったことですよ」と言いたくもなるだろう。

「公認取消」まで24時間もかからず 即日処理の早業

会見を終え、気持ちを切り替えて再スタート――と思ったその翌日、まさかの展開が待っていた。

国民民主党の両院議員総会で、山尾氏の公認取り消しがあっさり決定。わずか24時間も経たない“電撃取り消し”である。これにはさすがの本人も「早すぎませんか」と言いたくなっただろう。

もちろん、政治にスピード感は大切だ。とはいえ、これほどの“即断即決”が裏切りのかたちで発動されるとは、本人はもちろん、見ている側にとっても予想の斜め上を行っている。

山尾氏も「まさか、こう来るとは」と、その驚きを隠さず綴っている。せめて一晩くらいは希望を抱かせてくれてもよかったのでは――と、そう思いたくもなる結末だった。

結局は“執行部の責任回避”? 総会に丸投げの違和感

山尾氏は今回の公認取り消しだけでなく、その“決定プロセス”にも鋭い疑問を投げかけている。

「明らかに執行部主導で擁立を進めていたのに、最終的な判断は両院議員総会にお任せ――つまり、責任はみんなで山分けしましょう、という話ですか」と言わんばかりだ。

要するに、自分たちで声をかけておいて、いざ面倒になったら「みんなで決めたことだから」とスルッと手を引く。まるで、会議で「いいですね」と言っておきながら、責任だけは部下に押しつける某課長のようなムーブである。

こうした“誰も責任を取りたがらない構造”こそが、政治不信をじわじわと広げているのだろう。まさに、「一人も責任を取らないためのチームプレー」。その完成度の高さには、ある意味で感心すらしてしまう。

まとめ:政治の“茶番劇”にまた一幕、信頼の崩壊は止まらない

今回の一件ではっきり見えたのは、「誰が言い出したか」よりも「いかに巧妙に責任を取らずに済ませるか」が最優先される、政党運営のリアルだ。
出馬要請からの公認取り消しまでの流れは、まさに“政治という名の人間ドラマ”をコンパクトに詰め込んだ縮図。あとは字幕に「フィクションではありません」とでも出しておけば完璧だった。

山尾氏にとっては、信念を抱いて挑もうとした国政復帰が、足元からあっけなく崩れ去るという“政治的ドッキリ”となった。だが、これは単なる個人の不運で片付けていい話ではない。

問われるべきは、政党としての誠意、ひいては政治全体の“信用残高”のほうだ。
国民民主党はこの“梯子外し”の代償を、いったいどうやって支払うつもりなのだろう。まさか「記憶にございません」で済ませる気ではあるまい。

少なくとも、有権者は見ている。表向きは笑顔で握手しながら、舞台裏では椅子を引いてくるようなやり方を、静かに、そして確実に見抜いている。

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